「人生について 」 小林秀雄 中公文庫
またっ!硬い本読んで~ と言われそうですね。
小林秀雄さんは私の好きな斉藤孝先生の本(速読法のついて書かれた本)に引用されていたことと、爆笑問題の太田光が夜中のTV番組で彼の主張を紹介してたので一度本を読んでみたかったのです。
きっかけはミーハー。
購入したのは3ヶ月ほど前に行った栄の丸善。彼の著作なら何でもいいや、と手にしました。この本には小林秀雄の著作の中から“人生について”かかれた短編を20点ほど載せてあります。
やっと今感想文が書けるに至りました。ミーハーなんて言葉がそぐわない、重量級の読み物です。
字はびっしり、言葉の運びも慣れないうちは難しくって意味が??一向に進まない・・・いつも他の本に逃げていたのです。
いざ読み始めても一行読んでは 「・・・?」前後を何度も読み返してやっと「あ・・・っそういうことか」 頭使って集中して読まないと中々進まない、でもその集中してる時間がなかなか心地良かった。
今回私の集中場所は・・・清水インターそばの早朝のデニーズでした。
冒頭の“私の人生観”。これがこの本の主役です。まずは“人生観”とは何かの解釈から始まります。(細かい~)
著者自身の人生観というより釈迦、西行、室町時代の学問僧、宮本武蔵 などの生きざまを紹介している。その解釈はとっても独特です。
著者は、生き方の極意云々または「自分の人生観はこうだ~」という観念的で抽象的な言葉はあまり意味のあるものではない、と言いたいようです。
例えば・・・
釈迦は現実の否定から『空』という観念を生んだけど、『空』という概念的なことをうまく人に話すことはできない、というかそれには意味がない。
“この世は有限か、無限か、生命とは何か、肉体とは何かなんてことの質問には私は答えない。それより人を苦しませる原因を取り除く方法を教えるだけである”
釈迦はこんな態度であったそうです。
本当に知るとは行なう事 として行為の大切さに重きを置いていると共に
見るとは行なう第一歩 として『見る』ことの大切さを述べてます。
この『見る』というのも現実のものを物理的に目で見るのでなく禅でとりだたされるところの観法、すなわち『観る』ということです。
室町時代のお坊さんには画僧と呼ばれる絵描きがいた。彼らは宋(中国)から渡ってきた絵の本を参考にして、想像と創造で水墨画を描いたという。実際、宋に渡ることは不可能で当然中国の山水を目の当たりにはできなかったが、独自の素晴らしい作品を残した。
目に見えないものを、心の目で『観て』それを絵として現した。その行為こそ重要だ、ということをいってます。
私も軽々しく自分の人生観は・・・なんて使ってしまいますが、著者は観とは行為されて始めて意味をなすもの、としています。
私はどうも逆思考で、壁にぶち当たると助けになるような言葉を探したり、何か腑に落ちないことがあると、言葉で解釈して納得しちゃうところがある。
「人生ってこういうもんだよね」 「幸せってこういうことなんだわ!」 なんてね。
でもそれを、私という生きた肉体がどう表現していくか、これが問われるんだ、ということも最近よくわかってきました。
結果を解釈するだけなら、ただの自己満足でそこでスットプだもんね~~
頭でっかちに考えなくても日々の行為の中に幸せって一杯転がっているものなのかもしれません。
逆に行為からそれを見つけていこうとしたらやはり『観ていく』必要があるでしょうね。
最後に著者の言葉から、自分への戒めとして・・・
大切な事は、真理に頼って現実を限定するのではない。あるがままの現実体験の純化である。
見ることを考える事によって抽象化するのではない、見ることが考えることと同じになるまで、視力を純化するのが問題なのである。
50回位読んでも??? あっ!!それより行為行為